魏志倭人伝
弥生時代について知らないことが多すぎてなかなか先に進まないので、とりあえず魏志倭人伝を読んでいこう。
倭人在帶方東南大海之中
依山㠀為國邑
山とか島があって、そこに国や村がある。
国もあるし、田舎もあるってことかな?船がつくようなところは田舎な小規模集落(村)があり、平地に大規模な集落(国)があったということか?
舊百餘國
昔は100国以上あった。
そんなにあったんだ。大規模集落(国)が100国もあるってどうやってわかったんだろうか?
漢時有朝見者
漢の時代には、朝見する者がいた。
朝見ってことは、倭国は漢からみて属国的な上下関係だったということですね。
今使譯所通三十國
今、通訳が通じるところは30国である。
通訳が通じない国が70国ぐらいある と。多分、このときは日本列島各地で交流があったはずなので、言語としての通訳が通じないのではなく、交流を持っていない国が70国あったということだろう。
弥生時代について
■弥生時代
・紀元前1000年~250年。
・シンプルな弥生土器になった。
・稲作が始まった。
・鉄が使われるようになった。
今勉強している最中ですが、弥生時代の特徴ってこんな感じでしょうか。
でもよくわからない点がひとつ。
紀元前1000年からを弥生時代と言っているのはなぜか?
→弥生式土器の最古のものが紀元前1000年だったから?それとも稲作跡がみつかった遺跡の年代が紀元前1000年だったから?
いろんなサイトを見てきたが、なんか情報が錯綜している。
調べていくと、どうやら国立歴史民俗博物館の研究グループが最近、福岡県新宮町にある夜臼遺跡と福岡県博多区にある板付遺跡の弥生土器の年代をAMS法とかいうので測定したところ、紀元前8~9世紀(紀元前700~900年)のものと考えられるとのこと。
その遺跡からは水田跡が発見されているため、稲作は紀元前900~1000年あたりから始まっていたのではないか ということらしい。
で、予想だけど、紀元前1000年よりもっと前から大陸から渡来人がたくさんやってきていて、紀元前1000年のときにはじめて、稲作を知っている長江流域の人が日本列島にやってきたんだよね多分。
なので、弥生土器はもっと前から日本列島に伝わっていて、紀元前1000年より前のものが見つかってるんじゃないかと予想。後日、調べてみることにする。
【調べておきたい備忘録】
・渡来人は何しに日本列島にやってきた?
・なぜ稲作を広めた?
・稲作と弥生土器って同時期に広まった?
魏志倭人伝になかなかたどり着かないな・・・